Tokoの夢物語!写真と旅行記

鉱石の道 生野エリア【1】

生野銀山 坑道内コース

「鉱石の道」ルートマップ 昭和45年頃

鉱石の道ルートマップ

「鉱石の道」  平成16年命名

明治から昭和にかけて日本初の官営鉱山となった「明延鉱山」「神子畑鉱山」「生野鉱山」3つの鉱山エリアを結ぶ鉱石輸送の専用道路があり、銀の馬車道へと繋がっています

平成19年  近代化産業遺産群に認定
平成29年 「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」 日本遺産に認定

日本遺産ロゴ 生野鉱山関連遺構

播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道  ~ 資源大国日本の記憶をたどる 73km の轍 ~
日本遺産 平成29年4月

史跡・生野銀山

一円電車

生野銀山 一円電車 あおば号

明延鉱山と神子畑選鉱場の間を走っていた「明神電車」の「あおば号」が第2駐車場脇に展示されています 運賃が一円だったことから一円電車と呼ばれています

エントランス 菊のご門柱

生野銀山 菊の門柱

明治9年、鉱山司生野支庁(現、三菱マテリアル生野事業所)の正門として設置されました
昭和52年、生野銀山に移設されました

生野銀山 菊の門柱

明治時代初期の築造、菊の御紋が入った石の門

生野銀山 菊の門柱案内板

菊の御紋の門柱の案内板

生野銀山 赤煉瓦の名残

赤煉瓦建物の名残が展示されています

生野銀山 入場券
生野銀山 門柱の碑

入場料 900円 坑道内・坑道外・鉱山資料館・吹屋資料館に入場できます

生野銀山

生野銀山は807年に発見されたと伝えられ、室町時代に本格的な銀採掘が始まりました
江戸時代に幕府が「銀山奉行」を設置、その後「生野代官」が置かれ最盛期を迎えます
明治元年に政府直轄鉱山となり、フランス人技師コアニエが着任して近代化
明治22年に宮内省御料局の所管へ移され皇室財産になり
明治29年に三菱合資会社へ払い下げられ、国内有数の大鉱山になりました
昭和48年に閉山

代官所門

生野銀山 代官所門

昭和48年に生野銀山閉山、その翌年に史跡・生野銀山がオープンしました

生野銀山 日本遺産認定記念ポストカード
4枚1組のポストカード(非売品)

平成29年4月28日 「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」日本遺産認定を記念して4枚1組のポストカード(非売品)をいただきました

生野銀山

左の建物は鉱山資料館 右は吹屋資料館

生野銀山

正面に金香瀬坑道の入口と金香瀬旧露頭群跡への階段が見えてきます

坑道内コース 金香瀬(かながせ)

生野銀山 坑道入口

フランス人技師ジャン=フランソワ・コワニェによるフランス様式の石組で築造されたアーチ型の坑口

生野銀山
生野銀山 坑道碑

全長約1000m、年間通じて約13度の坑道を40分で体験することができます

生野銀山 坑道内

金香瀬坑は観光坑道として公開されています

生野銀山 坑道内

人が這いながら掘り進んだ江戸時代の坑道=狸堀

生野銀山 坑道内

近代採掘ゾーン

生野銀山 坑道内

坑道の落盤を防ぐ五枚合掌支柱組

生野銀山 坑道内

光っているのが

生野銀山 坑道内

シュリンケージ採掘跡

生野銀山 坑道内

組み方が馬の蹄に似ている馬蹄形鋼枠二枚合掌

生野銀山 坑道内
生野銀山 坑道内

天正5年、羽柴秀吉がこの水の美味しさを激賞してお茶をたてたという由来があります

生野銀山 坑道内

巻揚機

生野銀山 坑道内

坑内の人車

生野銀山 坑道内

光栄立杭ケージ(エレベーター)

生野銀山 坑道内

出口付近にはレールが残っていました

生野銀山 坑道出口

坑道の出口と不動滝

超スーパー地下アイドル  GINZAN BOYZ

2017年7月 デビュー曲「ギンギラ銀山パラダイス」でデビューしました

GINZAN BOYZ 「ギンギラ銀山パラダイス -GGGZPDS-」

生野銀山 坑道外コースへ続きます