フランス周遊旅行記【25】 フランス共和国
モン・サン・ミシェル〈1〉 到着
7日目 モン・サン・ミシェル観光
モン・サン・ミシェル Mont-Saint-Michel
モン=サン=ミシェルとその湾 世界文化遺産 / 1979年
モン・サン・ミシェル Mont-Saint-Michel
フランス西海岸、サン・マロ湾に浮かぶ小さな島、およびその上にそびえる修道院です
カトリックの巡礼地のひとつで、「西洋の驚異」と称されました サン・マロ湾は潮の干満の差が最も激しい所として知られ、潮の満ち引きの差は15メートル以上になります このため、かっては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としました
修道院の主要部はゴシック様式ですが、内部はいろいろな中世の建築方式が混ざり合って構成されています
その歴史については以下のとおりです
・708年、対岸の街アヴランシュの司教オベールは3度にわたって夢の中で大天使ミカエル
から「この岩山に聖堂を立てよ」とのお告げを受けました オベールは1回目、2回目の夢
では信じませんでしたが、3度目の夢に至ってお告げが本物であることを確信し礼拝堂を
作りました
・966年、ノルマンディ公リシャール1世がフランドル地方から僧侶を受け入れ、ベネディ
クト派修道院が誕生しました 以後、修道院と聖堂は増改築を重ね、13世紀には現在と
同じような形になりました
・百年戦争の間には、修道院は閉鎖され、英仏海峡に浮かぶ要塞として使われました 幸い
なことに、干満の差と潮流の激しさが敵の侵入を阻止し、戦火に見舞われることなく戦時
を乗り越えました 16世紀には修道院として復活しました
・フランス革命後は修道院は廃止、1863年まで監獄として使用され、その後荒廃していま
した
・しかし、ロマン派の作家ビクトル・ユーゴーらの運動により再び脚光を浴び、モン・サン
・ミシェルへの観光がブームとなりました
・1849年には陸との間に堤防が造成され、鉄道、道路が整備され、有数の観光地となりま
した
・1874年には「歴史記念物」となりました
・1979年「モン=サン=ミシェルとその湾」としてユネスコ世界遺産に登録されました
モン・サン・ミシェルへ出発
バスに乗車し、モン・サン・ミシェルを目指します 所要時間は約5時間です
パリを出て長閑な田園風景の中を移動
湖や森の中をバスは進みます
モン・サン・ミシェルまで95km
モン・サン・ミシェルの看板が現れました
モン・サン・ミシェルが近づいてきました パリを出たあたりから一緒に走ってきたバンが依然とバスを先導しています
バスの車窓から遥か向こうにモン・サン・ミシェルが見えてきました
La Bergerie
モン・サン・ミシェルに向かう途中に対岸の街アヴランシュのレストランで昼食をとりました
レストラン La Bergerie 皆さん はい ポーズ
モン・サン・ミシェル名物のオムレツがで出てきました
店員さんが取り分けてくれました
さあ、名物オムレツに舌鼓です 味はウーン・・・
ハイ ご馳走様でした 完食です 店内もなかなか良い雰囲気でした
レストランからモン・サン・ミシェルが間近に見えます
モン・サン・ミシェル到着直前にバスを停車してパチリ
モン・サン・ミシェル到着
いよいよモン・サン・ミシェルに着きました
後方の門がアヴェンセ門 いよいよ内部に入ります
前哨門(ブールバール門)があります ここも通り抜けます
左手はオムレツで有名な「ラ・メール・プーラール」、右手は王の門(ロワ門)
中を覗くと、店員さんがリズミカルな音を立ててオムレツを作っていました
「ラ・メール・プーラール」の看板
プーラールおばさんがオムレツを焼いている場面を看板にしています
この店でオムレツ食べたかった・・・
王の門(ロワ門)
フランス王が派遣した衛兵が詰めていた城門で要塞時代の面影が残っています
次は、王の門を潜ってグランド・リューに入っていきます
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